きっかけは一枚の写真から 〜おそらく幕末から始まる自分のルーツ〜

カテゴリ:思い出 | comments(0) | 2012.03.18 Sunday 12:31 |
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この写真が撮られたのは昭和18〜22年頃。
一番右、額に入れられた日本国旗(日の丸)の横にいるのが私の祖父、当時12〜15歳。20歳前後で病気で亡くなり、数か月後に私の父が生まれたことが戸籍謄本と写真に同封されていた手紙から分かりました。この写真は、父がお姉さんと呼んでいた祖父の妹(T子)さんが、父の生前に送ってきたものらしいです。

この写真は、当時貧しい生活をしていた中で4人のうちの誰かが腕時計を手に入れ、それが嬉しくて記念して撮ったものだとか。右から二番目の人が腕時計をしています(ちょっとわかりにくいけど)。

そして戸籍謄本では、私の知らない高祖父・曾祖父・祖父の兄弟の名前と、父の複雑な籍の流れがわかりました。以下、家系図ツールズというソフトを使って作った高祖父から父までの家系図です。



私のルーツは鹿児島懸鹿屋市木谷(幕末〜明治辺り)。
曾祖父(明治生まれ)の代で大阪府西成郡中津町(今の中津〜新北野辺り)に移り、祖父から父の代まで十三近辺で育ちました。ちなみに私の父は、みたらし団子で有名な「喜八洲」一族の坊ちゃんと小学校?で同級生だったとか(不確定)。

祖父は6人兄弟の二男。
戸籍を見る限りは結婚をした形跡がない!?祖母は、20歳前後で失踪したという話を聞いたような気がしますが定かではありません。

父が生まれたのは昭和24年、出生届けは昭和29年。
何らかの理由で両親が出生届けを出せなかったこと、戸籍上の母親が祖父の一番上の姉A子さんだったこと、そのA子さんが出生届けを出してから数か月後に、父が曾祖父の養子になったことが戸籍謄本から分かりました。

複雑すぎる・・・。

父のことを少し。
幼少期はある親戚の家で育つことになりますが、祖父母から父に残されたお金を全部使い果たし、さらに父が新聞配達をするようになるとそのお金まで頼りにしてきたそうです。全日制の高校には通えず、仕事をしながら夜間高校に通う中で結核を発症。何とか病気を治し、1年遅れで高校を卒業しました。

その後、就職した先で母と出会いすぐに結婚。
45歳を過ぎてから大手外資系企業に転職し、私たち家族を一生懸命支えてくれました。

しかし2001年5月、肺がんにより51歳でこの世を去ります。
タバコは吸わない、お酒は飲まない、そんな父が何で肺がんで死ななくてはならないのか。真面目で勤勉で、そんな父を何で早くに死なせるのか。納得できない。

父は正直な所、私を含めた家族には知ってほしくないかもしれません。
でもこの一枚の写真を見つけたことで、もっともっと父や祖父母、先祖のことが知りたくなりました。父方の先祖は鹿児島県鹿屋市、母方の先祖は愛媛県宇和島市日振島、この二ヵ所で始まった道が偶然にも繋がったことで私が存在してるわけです。

親不孝な人間に育っちゃいましたが。

祖父母や両親や親戚は、ルーツを知る上での重要な存在だと思います。
両親の若かりし頃の話を聞いたりするだけでも、結構いい思い出になったりしますよ!さらに簡単な家系図を作ってみると面白いかも。必ずしも良い結果になるとは限りませんのでお気を付けください・・・

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